前回の記事で、
というお話をしました。
誰かの言葉に心がざわついたとき、
その反応の奥には、自分でも気づいていなかった本音や感情が隠れていることがあります。
だからこそ、自分の反応に気づくことは大切です。
でも、その一方で、
自分を見ようとすればするほど苦しくなってしまう人もいます。
なぜでしょうか。
それは、自分を見ることが、いつの間にか自分を責めることになっているからかもしれません。
「また反応してしまった」
「まだ手放せていない」
「どうして私は変われないんだろう」
そんなふうに考え始めると、自分を見ることは苦しい作業になってしまいます。
本来、自分を見るというのは、
良い悪いを判断することではありません。
ただ、
「私は今、こう感じているんだな」
と気づくことです。
不安だった。
悲しかった。
悔しかった。
怖かった。
その気持ちに気づくことが目的であって、自分を評価することが目的ではありません。
私たちは、自分のネガティブな感情を早くなくしたくなることがあります。
でも、感情は敵ではありません。
そこにある感情には、必ず理由があります。
そして多くの場合、感情は認められることを待っています。
「そう感じていたんだね」
「本当は怖かったんだね」
そんなふうに受け止めてもらえることを待っているのです。
自分を見ることは、自分を管理することではありません。
自分を理解することです。
もし今、自分を見ようとして苦しくなっているのなら、
少しだけ力を抜いてみてください。
変わろうとしなくていい。
手放そうとしなくていい。
まずは、
「私はそう感じていたんだね」
と、自分の気持ちを認めてあげること。
そこから、本当の意味で自分を見ることが始まるのかもしれません。
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